午後に予定されている王妃教育を受けるために王宮の廊下を歩くミカエラが、ふと庭園に目をやった時の事だ。
自分の婚約者であるはずの男性に、女性が群がっているのが見えた。(また、ですの?)
ミカエラは、そっと溜息を吐いた。
その美しい黒い瞳に婚約者アイゼルの姿を映したからだ。彼女の婚約者である第一王子で王太子アイゼルは22歳。
母親は王妃。 正妃である王妃セレーナに男子は1人しかいない。 アイゼルを王太子たらしめる理由は他に必要なかった。(王太子として揺らがぬ地位をお持ちのアイゼルさまですから、令嬢たちが群がるのも分かります。アイゼルさまは、スラリと背が高くて青い瞳にきらめく金髪。整った顔立ちですけど女性的というわけでもない。モテるのは分かりますけど……)
男性優位の国にあって侮られない程度の筋肉と威圧的な雰囲気を持った青年だ。
心技体、全てにおいて優れた男性。 しかしアイゼルにも弱点はある。(そもそもアイゼルさまは女性好きなのよね)
男性優位の貴族社会において、それすらも絶対的な弱点とは言い難い。
だがミカエラの心をえぐるには、十分過ぎるほどの特徴であった。(もうっ。わたくしが一生懸命に勉強しても、異能で守っていても、本人は歯牙にもかけないなのだからムカつきますわ)
薔薇の花が咲き乱れる庭園では、女性たちに囲まれた美丈夫が、降り注ぐ太陽の日差しを浴びて金髪を煌かせながら笑っている。
無邪気さを感じさせるほど明るい輝く笑顔は、しばし公務を離れた男性が癒されている証に見えた。(あのような笑顔。わたくしには見せて下さらないわ)
ミカエラの胸はツキンと痛んだ。
思わず目を背ける。 いつものことであっても、この痛みに慣れることはない。 いっそ何も感じなければとも思う。 だがミカエラの心はアイゼルのもとにあるのだ。 異能が教えてくれている。 知りたくもない自分の心のある先を感じながら、彼女はいつも苦痛に耐えていた。(わたくしが昨夜、苦しんだこともご存じだろうに。気遣ってすら下さらないのね)
彼のためにミカエラは苦しみを味わったのに。
彼は全く関係ないとでもいう様子で令嬢たちと楽しそうにしている。 警護の者たちが調べているが、十中八九、アイゼルは毒を盛られたのだ。 ミカエラは彼と共に食事を摂ってなどいない。 それでも盛られた毒に苦しむのはミカエラである。 ミカエラが持っている異能とは、そういうものなのだ。(嫌いに……なれたら、いいのに……)
アイゼルからミカエラの心が離れたのなら、異能が効果を発揮することはない。
彼のことを嫌いになれたなら。 嫌いになりさえすれば、ミカエラは苦痛から解放されるのだ。 しかし、そうはならない。 ミカエラの心は彼のもとにある。 初めて会った日からずっと。(アイゼルさまに群がる令嬢たちの気持ちは分かるわ。仕方ないわよね。アイゼルさまが素敵だから。それにあの方たちも悪い人というわけでもない)
アイゼルを取り囲む女性たちは貴族の令嬢たちは華やかで美しく、気品もある。
特に親しいのが、レイチェル・ポワゾン伯爵令嬢だ。 今も頬が触れ合わんばかりの距離で笑い合っている。 近寄っても下品にならず、誰かに咎められることのないギリギリのラインを、令嬢たちは心得ているのだ。もっともギリギリを超えた所で咎められることもない。
ミカエラが正妃となったとしても、側妃の席は空いている。 爵位が高すぎず、政略的に釣り合いのとれる貴族令嬢であれば、側妃を目指したとしても当然の事なのだ。 むしろ家族から勧められているだろう。 ミカエラが正妃になった所で飾りのようなものだ。 側妃として寵愛を受ければ、未来の王の母となることも夢ではないのだ。(この王国の女性としての頂点に、わたくしのような者がつくかもしれないとなれば。ライバルが現れるのは自然なことだわ)
レイチェル伯爵令嬢は爵位も高くないし、髪も瞳の色も薄茶色と派手さはない。
だが、なんとも言えない色香の漂う令嬢である。 双子の兄、イエガー・ポワゾン伯爵令息が王太子の幼馴染ということもあり、2人は特に親しい。ミカエラはキュッと唇を引き結んだ。
(仕方ないわ。わたくしがアイゼルさまのお側にいられるのは、愛されるためではない。彼を守るためなのよ)
アイゼルを守る力がなければ、ミカエラは彼の側にはいられない。
そのことはミカエラも十分に分かっていた。 彼を愛し、側にいることで、王太子は守られる。 不埒な輩の刃に襲われようとも、食事に毒を盛られようとも、彼は生き延びる。 そのためにミカエラは此処にいるのだ。 愛されるためではない。愛を求められているのはミカエラだけだ。
アイゼルには、愛を返す義務はない。(分かってはいるけれど……辛い……)
ミカエラがアイゼルを愛せば、異能は勝手に働く。
逆に言えば彼がどんなにミカエラのことを嫌っていても関係ない。 それが彼女の持つ異能の特殊性でもある。 ミカエラが愛しさえすれば、アイゼルは何があろうとも生き延びるのだ。 本来であれば、お側に上がる必要すらない。(お側にいられるだけでも感謝するべきなのかも?)
しかもアイゼルの受けた被害は、ミカエラの命を脅かすことはない。
彼女の回復するスピードが早いからだ。 一晩あれば、大体のダメージからは回復することができる。(死なないし、体の機能が損なわれることもないけれど……痛いのよ)
異能に痛みの軽減は含まれてはいない。
ダメージからの回復には壮絶な痛みが伴う。 やっかいなことに、この痛みには薬が効かない。 ミカエラは耐えるしかないのだ。(最近は、回数も増えているし……)
王太子であるアイゼルは常に狙われている。
しかも既に22歳。 たびたび起きる暗殺はミカエラに壮絶な痛みを与えるけれど、彼の命を奪うことはできない。 一度や二度なら幸運で済むだろうが、こう何度もあれば不自然さに回りも気付くだろう。ミカエラの異能については秘密とされている。
しかし、そろそろ周囲も気付く頃だ。 なぜ暗殺は常に未遂で終わってしまうのか? その疑問に対する答えを探しているうちに、いずれはミカエラに辿り着くことだろう。(異能がバレた時、わたくしは……どうなるのかしら?)
ミカエラは王太子にとって大切な存在であるはずだが、守られている気はしない。
むしろ死なない便利な道具のように扱われていると感じる。死ななくて、便利な女。
だからだろうか。
ミカエラに求められているのは、王太子の命を守ることだけではない。 未来の王妃としての役割も求められている。(命を守るだけでなく働け、ということよね)
王妃教育も厳しく、ミカエラには気の休まる暇がない。
(せめてアイゼルさまが、わたくしのことを少しでも気にかけて下されば良いのだけれど……)
王太子は令嬢たちに優しい。
なのになぜかミカエラにだけは冷たいのだ。(実家にも、わたくしの居場所はないし……)
異能が発現し、王太子の婚約者と決まってからは、王宮住まいになっている。
まだ10歳にも満たないミカエラは、早々に実家から出されてしまった。 時折り顔を合わせる父親は、家のために王太子の婚約者としての務めを果たせと言うばかりでミカエラに対して優しい気持ちを見せてくれることはない。 母親とは、しばらく顔を合わせてもいない。 離れて暮らしているせいなのか、王太子の婚約者という立場のせいなのか、兄弟姉妹はいるものの関係性は薄い。 もはや実家にミカエラの居場所など無い。ミカエラには逃げ場すら用意されてはいなかった。
しかも命をかけて王太子を守っているミカエラに浴びせられる言葉は、可愛げが無い、不気味、無能。
そして悪役令嬢。(わたくしがアイゼルさまの命を守っていることなど、限られた人しか知らないもの。仕方ないわね)
彼らはミカエラが王太子の命を守っていることを知らない。
アイゼル自身も知らされてはいないのかもしれない。 知らなければ、疑問に思うのは当然なのだ。 美しくもなく、後ろ盾もたいしたことがない伯爵令嬢ごときが、なぜ王太子の婚約者でいられるのかと。クスクス笑いながら令嬢たちに「あの方、赤がお好きよね。派手好みなのね」などと言われることもよくある。
しかし赤をよく着るのは、赤い色をミカエラが好きだからというわけではない。 血の色が目立たないようにするためだ。 ベッドカバーが深紅なのもそうだ。 血を吐いたり、出血したりすると、どうしても汚れる。 白では目立ち過ぎるから、赤なのだ。 深紅の服を着ていれば、血と汗の区別がすぐにつくわけではない。 血が染み出た所で汗染みに見えれば異能に気付かれる危険は減る。ミカエラが笑われるだけで済むのだ。
だからミカエラは赤を着る。
深紅のシーツを使う。 ただそれだけのことなのだ。なのになぜミカエラの心は軋むように痛むのか。
ミカエラが笑われようと、血を流そうと、気にならない人を守っているからだろうか。(わたくしがどうなろうと、あの人は気にしないのね)
守っているのだから守って欲しい。
そんな当たり前のことを叶えてもらうどころか、口にすらできないと感じる。(理不尽だわ。こんな状態なのに、わたくしは……いつまで彼を愛せるのかしら? わたくしは、どうしたいのかしら?)
答えは見えない。
曇った空からはチラリハラリと舞い踊り落ちる雪。 季節は冬へと突入していたが、春に向けての準備は次から次へと進んでいた。「どうしても行かなくてはならないのですか?」「ああ」 アイゼルの執務室で他人の目が少なくなったタイミングを狙い、ミカエラは彼に聞いた。 短く答えたアイゼルの表情は仮面のようで、心の内を読ませるようなものではない。「あの国へ行くのなら、雪山を超えることになります」「道が整備されているから大丈夫だよ。母上に寄り添っている父上まで腑抜けてしまった。私が出向くしかない」「ですが……」「ミカエラッ!」 アイゼルが冷たく強い口調で彼女の名を呼んだタイミングで、赤毛のメイドがお茶を持って入ってきた。 メイドは赤い瞳に侮蔑の色を浮かべながら、ニヤニヤしてミカエラを見る。 結婚が決まった今でも、ミカエラを追い落とそうという者は絶えない。 情報は貴族のなかで回るため、時折、アイゼルはあえてミカエラに冷たい態度をとる。 それがミカエラの安全に繋がるのは彼女自身も承知していたが、今回のことは違う。「ミカエラ。私が行くしかないのだ。大人しく待っていてくれ」「……はい」 アイゼルは疲れた様子で椅子に身を預け、執務机に肘をついて右手で眉間のあたりを揉んでいる。 隣の執務机の前で椅子に座りながら眺めていたミカエラは、クッと口元を引き締めた。 静養に入った王妃が正気を取り戻すことはなかった。 その事実を突きつけられた国王は、一気に老け込んでしまった。 変化は国王自身への影響よりも周りが受ける影響のほうが大きい。 当然のように、国王の指名を受けて次期国王となるアイゼルも、影響は避けられなかった。 彼は彼自身の力で国王の器であると改めて証明しなければならないのだ。 それは王国内にとどまらない。 王国外にもアイゼルが次期国王にふさわしいと認めさせる必要がある。 そのくらいのことは、ミカエラにも分かっている。 分かっていても、不安は止められない。 (できれば、わたくしも一緒に行きたいけれど。今はそれが叶う状況ではない) 王妃の座に就き、世継ぎを産まなければ国外へ出るのは難しい。(すべては国政の安定のため。わたくしはアイゼルさまを愛していさえすればいい、|お《・》|気《・》|楽《・》|な《・》|婚《・》|約《・》|者《・》ではな
季節は慌ただしく移り変わっていき、ミカエラの置かれている状況も流されるようにどんどん変わっていく。(王妃教育は受けてきたけれど、いざその時が近付いて来たら役に立つかどうかが分からないなんてっ!) ミカエラは自分の過去の努力に疑問を持ちつつも、目の前に流れてきた役目を必死でこなしていた。 使用人たちは噂する。「王妃さまが静養に入られてから、国王さまも執務から遠ざかっているような」「それは王妃さまの側にいるためでしょう?」「意外でしたわ。国王陛下と王妃殿下の仲がそんなに良かったなんて」(何があったか知らない者たちにとっては、そう見えるわよね) 真実の一部を知っているミカエラにとっては複雑だ。「愛だわ、愛」「王族であっても愛は大切よね」「ええ、愛あればこそ」「国王陛下と王妃殿下ですら愛があというのに、うちの主人ときたら……」「分からないわよ? いざ貴女になにかあったら寄り添ってもらえるかも」「いざというときではなくて、いま寄り添って欲しいものだわ」 貴族たちもザワザワと騒めていてる。 それは愛についてだけではない。「王妃さまがご静養に入られたくらいで国王さままで半ば引退されてしまうというのでは国政が……」「ああ。王国にとっては良いことではない」「でもアイゼルさまがいらっしゃるではありませんか」「まだお若く未熟な上に、王位を譲り受けられるまでに時間がある」「春には戴冠されるのでしょう?」「でも春の前には冬がありますからね」 貴族たちが国政について騒めくのは、野心があるからだ。「アイゼルさまが国王になられるのは既定路線ではあるけれど。ミゼラルさまはどうなされるおつもりなのだろうか?」「公爵位を得られて王族から離れるのでは?」「それは時期尚早ではないかな? アイゼルさまには御子がおられないのだからな」「ああ、そうですね。王族が少なすぎるのは問題です。王位争いを避ける必要もありますし」「でしたら次の王太子はミゼラルさまということに?」 アイゼルがミカエラと結婚することが決まっていても、ミゼラルが王位を得る可能性が少しでもあるのなら貴族たちにとっては見逃せないチャンスがそこにはある。 王族でなくとも国で力を持つ方法は色々とあるのだ。「側妃さまの立場はどうなるのでしょうね?」「ミゼラルさまの母君であるマリアさまの
(父上が愛を知らなかったわけじゃない。僕が愛されてなかっただけだ) ミゼラルは唐突に訪れた気付きに戸惑っていた。 国王の座から父が降りたことも、兄が国王になることも、どうでもよかった。(僕が愛されていないだけだった) ミゼラルは自室のソファに座り、大きく開けた窓の外に広がる青空を眺めていた。 朝の早い時間だというのに、何もする気が起きない。 神殿に行くことも、朝食を摂ることも、どうでもいい。 ソファの前のテーブルの上で、熱々だった紅茶が冷めていくのもどうでよかった。 季節は移り変わり、秋も終わりに近付いている。「ミゼラルさま。せめて紅茶を召し上がってください」「……ぁ? あぁ……」 パムに話しかけられても、ミゼラルはおざなりに返事をするだけだ。 腑抜けた主人を見て、パムは溜息を吐いた。 そこに足音も賑やかに、マグノリア伯爵が慌ただしく訪れた。「ミゼラル、ミゼラルはいるか?」「はい。ミゼラルさまは、こちらにいらっしゃいますよ」 パムが返事をするのが聞こえる。 ミゼラルには、訪ねてきた相手が名乗らなくても誰か分かった。「おい、ミゼラル。どうするつもりだ? このままアイゼルを王座に就かせるつもりか?」「……おはようございます、伯父上」 ミゼラルの私室に現れたのは、母の兄であるマグノリア伯爵だ。「僕は第二王子ですよ? しかも側妃の産んだ子だ。兄上が生きている限りは、僕の出番などありません」 ミゼラルは伯父へ当たり前の事実を並べた。 この城には密偵があちらこちらにいる。 (こんなに野望があからさまな伯父上に、兄上の追い落としなどできるわけがない) ミゼラルは冷めた気持ちを抱えて溜息を吐いた。(そもそも父上はセレーナさまと一緒に引退する。セレーナさまがご静養に入られるだけなら、むしろ側妃である母上にチャンスがやってきたはずだ。その程度の可能性すらないのに、僕に王座が回ってくるはずがない) 笑顔を作るのも面倒になって愛想のない表情のままミゼラルは、面倒くさそうに言う。「諦めてください、伯父上。僕の出番なんてありません」「お前は欲がなさすぎるぞ」 マグノリア伯爵は、ミゼラルの正面にある一人掛けの椅子へドカリと座った。「やりようはいくらでもあるっ。諦めるなっ」「そうは言っても、伯父上。父上の決定は絶対です。兄
唐突に早まった結婚時期のせいで、ミカエラの周辺は慌ただしくなっていく。 今朝もいつも通りアイゼルの執務を手伝っていたミカエラだが、侍女のルディアがバタバタと迎えにやってきた。「ミカエラさま、ドレスの仮縫いの時間でございます」「ええ、ルディア。分かったわ」「こちらはいいから、結婚の準備を優先してくれ」「はい、アイゼルさま」 ミカエラはアイゼルに軽やかにカーテシーをすると、侍女と共に自室へと戻った。 (状況がこんなに変わるとは。先月には予想もしていなかったわ) ミカエラは不思議に思いながら、大人しく仮縫いのドレスを着せられていた。(アイゼルさまは王太子としての執務に加え、国王代理としての仕事もされている。そのお手伝いで、ただでさえ忙しいのに、結婚式の準備にも追われて目が回りそう) ミカエラは来年の春、アイゼルと結婚するのだ。(正直、ここまで来られるとは思っていなかったわ。途中で婚約を解消されるか、わたくしが死ぬか、どちらかの可能性も高かった……) ミカエラが物思いにふけっていると、上機嫌のルディアが話しかけてきた。「よくお似合いですよ、ミカエラさま」「本当に、よくお似合いです」 感極まった様子のルディアが言う横で、でっぷりと太っているが全身を綺麗に整えた男性デザイナーもニコニコしている。「そうかしら」 ミカエラはドレスを合わせた姿を大きな鏡で眺めながら呟いた。 (いつも赤を着ているから、白いドレスは……とても新鮮っ!) 細く白いミカエラには、色味としては赤の方が似合う。 そのため、ウエディングドレスの生地には輝きの強いものが選ばれた。 そのせいか光を弾いて輝くドレスには、薄っすらと虹のような七色の輝きが感じられる。 侍女は上機嫌でニコニコしながら言う。「ミカエラさまの黒髪も映えますね」 デザイナーもコクコクと頷く。「ええ、本当に。黒髪や黒い瞳が不吉という迷信深い人たちもいますが、そのようなことはありません。どのような色も組み合わせ次第で輝くのです」 デザイナーが青い瞳をキラキラさせて自分を見ている。(わたくしは、もっと自信をもっていいのかしら?) ミカエラは足元で忙しく働いているお針子たちの邪魔にならないように、鏡の前で体を動かして確認してみた。 (ドレスは美しいわ。わたくしは……ん、当日は髪も、メ
夜も更けた時間帯。 自室で寛いでいたミゼラルに吉報はもたらされた。「毒を盛った⁉ あの王妃が⁉」「はい、ミゼラルさま。王妃さまはメイドに命じて毒を盛らせたようです。もっとも、メイドのほうは毒とは知らなかったようですが」 ミゼラルはパムから報告を受けて、声を立てて笑った。 ソファの上で腹を抱えて笑う彼の吐く激しい息のせいで、テーブルの上に置かれた蝋燭の炎が揺れる。「ハッハッハッ。そりゃそうだろう。いくら手下となる者を実家から連れてきていたとはいえ、メイド風情にだって人生はある。吹けば飛ぶようなメイドごときにも自己保身の気持ちはあるから、真実を告げたら思い通りに動かすのは難しいからね。それにしても王妃が、本当にやるとは」「そうでございますね。曲がりなりにもアイゼルさまは王妃さまの実子ですから。ミカエラさまへ危害を加えたいと思っても、我が子に毒を盛るなど普通では考えられませんからね」 ヒーヒー声を上げて笑うミゼラルに、パムは冷静に答えた。「そうだよねぇ。あの王妃はイカレてるっ! 我が子に、それも自分の立場を支えてくれている息子にっ。毒を盛るなんてっ!」 ミゼラルは、笑い過ぎて涙を流していた。「息子を奪ったミカエラが憎いのはわかるけど。そのミカエラを苦しめるために、息子を失う危険を冒すなんて!」「そうでございますね。ミカエラさまの異能は、愛などという移ろいやすい感情に支えられた異能です。彼女自身にもコントロールできない感情に支えられた異能ですからね。アイゼルさまが命を落とさなかったのは、運が良かっただけです」 パムは感情の分かりにくい笑みを浮かべつつ、主人に紅茶をいれた。 良い香りが部屋の中を満たしていく。 その香りを嗅ぎつつ満足げな笑みを浮かべたミゼラルはご機嫌で喋り続けた。「毒を盛る手伝いをさせられたメイドが【罪の意識に耐えられず】名乗り出た、というのも……とんだ茶番だ」「そうでございますね。体に良い薬だと言われて渡されたとしても、本人に無断で盛れば罪になりますからね」 ミゼラルはコクンと頷いた。 そしてパムの出した紅茶のカップを手に取ると、一口、コクリと飲んだ。「メイドの処刑は明日の正午、広場にある断頭台で行われるそうです」「そうか。見に行くか? ふふ。そんなものを見に行っても不快なだけか」「そうでございますね。メイドご
赤い血にまみれた夜は嵐のように過ぎていき、今は朝の日差しが穏やかに降り注いでいる。 ミカエラは閉じた瞼越しに光を感じて、医務室の堅いベッドの上で目を覚ました。「ん……」 軽く声を上げながら昨夜の記憶を辿る。(えっと……昨夜は……ああ、食堂で倒れたのだったわ) ミカエラにとって、倒れるのはよくあることだ。 だが食堂で倒れたのは初めてのことのように思う。(今までは自室で倒れて秘密裡に処理してきたから……他人の目があったら、やはり騒ぎになるのね) 吐血したミカエラは医務室に運ばれたが、いつもと同じように一晩で回復した。 初見の医師であれば、激しい出血に見合わぬ回復ぶりを不審に思ったことだろう。 だがいつもミカエラを診ている老医師にとっては、不思議なことでもなんでもない。 アイゼルに「もう大丈夫です」と短く告げて、早々に医務室を後にしていった。 そこまではミカエラにも薄っすらと記憶がある。 不思議なのはミカエラの目に映るのが自室ではないことだ。 天井が違う。 そもそも、ベッドに天蓋がない。(ここが医務室なのね) 自室よりはシンプルな内装の、白と銀色の際立つ部屋は清潔ということだけが特徴の部屋だ。 窓は大きく開け放たれて、新鮮な空気が白いカーテンを揺らしている。 大量の新鮮な空気で希釈されていても、医務室独特の匂いは消せない。(わたくしの部屋なんて病室みたいなものだと思っていたけれど、実際はもっとシンプルで実用的だわ) ミカエラは頭がぼんやりとした状況ではあったが、状況を理解しようと思考を巡らせ始めた。 そした聞き覚えのある声が自分の名を呼んでいることに気付いた。「……ミカエラ? ミカエラ、気が付いたのかい? ねぇ、ミカエラ。私がわかるかい?」 声のする方へと視線を向ければ、そこには心配そうな表情を浮かべたアイゼルの姿があった。 アイゼルはベッド脇に置いた椅子へ座って、ミカエラを見下ろしている。(アイゼルさまだわ) ミカエラは自然と笑顔になった。 体調の悪い時、愛しい人に寄り添ってもらえるのは悪くない。「ええ、分かります。アイゼルさま」 ミカエラは新鮮な喜びを覚えながら答えた。 アイゼルの後ろには守護精霊たちの姿もあった。『大丈夫? ミカエラ』 ウィラは心配そうな表情でミカエラを見ながら、小さな羽を羽ばたか